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過去の参加者の感想

過去参加者の感想は、詳しくは名前を押してください。

中央大学法学部1年 加藤佳奈
 私の中にはやはりどうしても『カンボジアは”貧しい”』というイメージがありました。しかし、都市部に行けば高級車が走ったり、コンクリートのきれいな家があったり、自分の想像をはるかに超えていました。確かに、その一方で農村部にいけば車もコンクリートの家もありません。国が発展するにつれて都市部と農村部の格差が広がり続けているのも事実です。でも、車もコンクリートの家もないからと言って本当にカンボジアは”貧しい”のでしょうか。
 今回の12日間で様々な人に出逢いました。ガイドさん、孤児院の子供たち、農村の子供たち、ゴミ山の彼女、HIV病棟の方、大学や日本語学校のみんな…。本当にたくさんの人たちと出逢いました。彼らは夢をもっていました。“前”をみる輝く瞳、強いまなざしをもっていました。勉強に対する情熱をもっていました。作りものなんかじゃない素晴らしい笑顔をもっていました。みんな、今を自分なりに必死に生きていました。戦争という闇から抜け出そうとゆっくりとですが歩み始めていました。そもそも貧しさを外側ではなく中身で判断しようとすること自体、外側が充実し、余裕ができて中身を重視し始めた先進国側からのエゴなのかもしれません。
京都教育大学 教育学部教育学科教育学専攻2年 岸浪恵理子
 参加して一番強く感じたことは、メディアの力の大きさであった。自分なりに発展途上国について勉強していたつもりであったが、それはあくまでメディアを通してであって、あまり役には立たなかった。今回実際に自分の目で見るまで知らなかったこと、気づけなかったこと、わからなかったことだらけであった。カンボジアもベトナムも貧しく悲しい国ではなかった。どこへ行っても笑顔と愛で溢れていた。そんな彼らを見て、むしろ心が貧しいのは私達日本人なのではないかとまで感じた。参加する前は、私が彼らに対して何かを与えられたらという思いがあったが、それはただの思い上がりであった。むしろ与えてもらっていたのは私自身の方で、私はもらってばかりで今回何もできなかった。
 私がこのツアーで自分の目で見て感じたことやこの経験を教壇に立って日本の子ども達に発信していきたい。発信していかなくてはいけない。
立命館大学 国際関係学部2年 川﨑愛華
 カンボジアに行って、今までの私は上から目線で途上国を見ていたことに気づきました。先進国の私たちが途上国を開発援助してあげるというように考えていました。しかしそのような考えは私たちの自己満足にすぎず、それが被援助国の人々が本当に求めているものとは違うのではないかと感じました。 日本のような発展の仕方がカンボジアにとっていいわけではありませんし、カンボジアの人がどのような発展や援助を求めているのかは現地に行って、現地の人の話を聞かないと分かりません。国際協力が単なる自己満足や押しつけにならないようにするためには、まずは対等な立場に立って考えなければいけないと感じました。
大阪大学 法学部2年 長澤友里
 カンボジアで出会った様々な境遇の子供たちに、多くのことを考えさせられた。物乞い、ストリートチルドレンと呼ばれる子供たちの姿からは現実の厳しさを感じ、日本語学校でひたむきに日本語を学ぶ学生の姿を見て私自身の甘さを思い知った。孤児院でずっと私の手を引いていた子のことも、私たちにはあまり笑顔を見せてくれなかった子のことも忘れることはできない。たとえ言葉がうまく通じなくても子供たちの笑顔にはとても癒されたが、そこには笑顔だけじゃない何かがあった。戦争という過去の傷跡、不安定な政治経済などの諸問題は、あらゆる側面から子供たちにものしかかっているように思えた。 日本にいては分からない、行ってみなければわからない。私がカンボジアで過ごした日々はそのことを私に強く感じさせるものだった。私がカンボジアでみた現実は、想像より遥かに多様であった。裸足の子供たちもいれば、高級車も多く見かけた。そして、この多様さとそれが外側からは見えにくいということが、国際支援の難しさの原因の一つになっていると私は思った。日本が現在他国に対して行っていることは、本当に支援と呼べるものなのだろうか。彼らが本当に必要としているものとは何なのか。このように考えていく中で私自身がこれからしていきたいことが見えてきた。
神戸大学 発達科学部3年 池尾有希子
 私は、発展途上国の貧困と日本で問題になっている貧困とはどう異なっているのかを知りたくて、この研修に参加しました。カンボジアには確かに物乞いをする人、ゴミ山で働き生活している人々、孤児院にいる子どもたちやストリートチルドレンがいて、目に見える絶対貧困がありました。それは、日本の貧困とは本質的に異なっていると感じました。
 しかし、それらの貧困に対する必要な支援は必ずしも異なっているわけではないことを、考えることができました。経済的支援、ハード面での支援を行うだけでは様々な弊害をもたらしてしまうことが分かり、カンボジアでも日本でも、今求められているのはソフト面での支援であると思いました。しかし、そのような支援は成果がすぐに見えるものではないので、時間をかけ、地道に行わなければなりません。より難しい支援であるといえるかもしれません。この研修で得た経験を無駄にせず、活かせるようにするためにも、自分にできることを考え、少しずつでも行動に移していきたいと思います。
同志社大学 3年 山田雄太
 現地で受けた衝撃は大きなものだった。また想像をしていなかったようなものも得て帰国することができた。経済面や衛生面は予想の通りで孤児院やゴミ山で生活する人など先進国ではあまり見られないような光景をたくさん見た。しかし最も印象的だったことは人々の笑顔である。ガイドさん、道で話している人、孤児院・農村の子どもたち、ゴミ山で暮らす人々、枯葉剤の影響で寝たきりの子どもたち、とにかく人々の笑顔が印象的だった。特に子どもたちの笑顔は特別に輝いていて無邪気な笑顔だった。
 日本の生活基準で考えていたから生活は苦しく現地の人々には笑顔がないと思っていた。しかし現地の生活基準で考えると人々は不便なく日常を過ごしている。むしろ現代人につきまとう余分な欲望やストレスが少ないからこそ無邪気な笑顔になるのかと思った。
 日本は「豊か」なのか。「豊かさ」とは何か。この点に気づけただけでもツアーに参加した意味があったと思う。また、もっともっと世界を見て、感じて視野を広げようと思うきっかになった。
摂南大学 経営学部経営学科年 芦田真瑠圭
 カンボジアでは現地の人からお話を聞かせていただいたり、現地の子供たちと触れ合ったり人と関われる機会が非常に多く、自分の中で新しい疑問が沢山うまれてきた。
 最初はただ可哀想だ、貧しい生活はきっと辛いだろう、と思っていた。しかし、生活は貧しいはずなのに、子どもたちはすごく生き生きしていて逆に子どもたちから沢山のパワーをもらった。そこで子どもたちがはたして本当に可哀想なのか、ただお金があれば幸せになれるのかと考えたときに、もしかしたらこのままの方が幸せな子もいるのかもしれないと思った。
 この思いはカンボジアに来なければ絶対に出てこなかったと思う。今の日本を見てカンボジアを見たときに、はたして発展が本当にその国の人々にとって良いことなのかわからなくなった。逆に日本が今の様ではなく生き生きとした国になるためには物も何もない方がいいのかもしれないと強く感じた。
大阪市立大学 生活科学部食品栄養科学科1年 武岡萌
 カンボジアへ行って、確かに貧しいと感じる場面は多くありました。しかし、現地に住んでいる日本人の方も言っておられたけど、カンボジアの人々は豊かだと思いました。
 豊かと言ってしまうと語弊があるかもしれないけれど、彼らの心は確かに豊かだったと思います。みんなとても温かかったです。実際に行ってみて、カンボジアという国が大好きになりました。
 他国からの支援も受けて、これからカンボジアは発展していくと思います。けれども、本当のカンボジアの姿は決して忘れてはいけないと思います。ずっと五感を感じられるカンボジアであってほしいです。支援の仕方って本当に難しいと思いますが、このインターンシップを通して、決して上からではない、カンボジアの人々と同じ目線から寄り添った支援が必要だと感じました。
首都大学東京 健康福祉学部1年 塚本正太郎
 私はこのツアーに参加するまで、将来は途上国で人道支援をしようと考えていた。ただそれは正しい事なのだろうという理由からだった。しかし、今回のツアーに参加することで、途上国支援=人のためになるという考え方は必ずしも正しいことではなく、支援すること自体がそもそも無意味なのではないかと考えた。
 しかし、途上国にはやはり日本とは違った次元の、日本ならば容易に回避できるような要因で苦しんでいる人々がたくさんいるという現実も見てきた。この現実を知って何もしないという事が果たして自分の中で正当化できるのか。いまだにわからないが、これからもその思いが大きくなるのならば、行動を起こすかもしれない。
摂南大学 外国語学部3年 姚 遠
 私自身も中国から来た留学生なので国際交流や国際協力という事が、大変身近なものに感じています。カンボジアという国は、私が新聞や書物で以前よりもっていたイメージもあり、戦争、貧困、及びそれらで引き起こされた様々な深刻な社会問題があり、海外からの支援が不可欠な国だと思っています。しかし、実際に現地に行き、一番印象に残ったのは、カンボジアの人たちの私達を見た反応です。町でも村でも子供も大人も、私達の乗ったバスを見つけると、手を振り始めます。私達と話をする時も、初対面にもかかわらず警戒する様子はありませんでした。それで、私達も初めて道で出逢った人とも緊張することなく、本当に自然な笑顔が心から湧き出ました。自然な笑顔とあたたかさに溢れた心は、お互いに分かり合えるものだと深く実感しました。
関西大学 商学部2年 小宮駿祐
 カンボジアで様々な施設、病棟や孤児院、農村、さらには政府関係機関などまでも訪れることで、現地の実態を垣間見ることができました。そこでは想像以上に格差が大きく、価値観が自分の周りの世界だけに基づいているケースも多く見受けられたように感じました。
 ちょうどいま、日本の教育現場ではいじめが大きな問題となっていますが、カンボジアの小学校や孤児院ではいじめという概念がないそうです。そのお話を聞いたときに、格差が広がることだけをもって貧困だと言えるのだろうか疑問に思ってしまいました。
 カンボジアには、道路・教育を含めたハード、ソフト両面のインフラがともに足りていないし、解決すべき問題点は多くあると感じました。けれど、そういった部分だけではなく、明るい部分も存在します。そういったところをもっと周りの友人たちに伝えていって、カンボジアを知ってもらうことも支援の一つではないかと思いました。
同志社大学 文化情報学部3年 河内康宏
 様々な発見や、価値観、考え方などを知り自分が大きく一回りも二回りも成長できることができた。  ごみ山では捨てられたごみから放たれる悪臭でマスクをしないと耐え難い臭いが漂う中で生活している人、子どもたちがいることがとても衝撃的だった。子どもたちがシラミ取りをし合っている姿は今でも目に焼き付いている。
ごみ山をなくしてほしいかどうかの質問に対し、そこで生活している人が「ごみ山での生活がなくなるからなくしてほしくない」と返答したのに驚き、支援とはいったい何なのか?という疑問をもった。また私たちが思う支援と、受ける側が必要としている支援の違いにも驚いた。
大阪市立大学 商学部商学科2年 山崎恭子
 カンボジアは発展途上国というイメージしかなく、貧しい国だと思っていた。実際、国境からプノンペンへの移動中にバスから見た農村風景や人々を見ると予想どおりだった。しかしプノンペンに着いてみると、道路のごみが気になったものの、そこはバイクが行き交い、コンビニやスーパーマーケット、観光客用のきれいなホテルやレストランが立ち並ぶ立派な大都会で、私の勝手なカンボジアのイメージとはかけ離れていた。しかし、その大都会でも路上生活者やストリートチルドレンが多く見られ、研修が進む中で少しずつだがカンボジアが現在抱える社会問題や大きな格差が見えてきて、頭が混乱した。
 自分とは比べものにならないくらい意識が高く、そして熱い思いを持つたくさんの同世代の学生に出会えたことは貴重な経験だった。私は彼らからたくさんの刺激をもらった。日本語学校やアンコール大学の生徒の勤勉さ、一生懸命さに触れて、今まで自分はこんなに真剣に物事に取り組み、努力したことがあっただろうか、と考えさせられた。彼らの一生懸命できらきらした目が本当に素敵で、私もそろそろ真剣に自分の将来を考え勉強しようという気持ちにさせられた。
首都大学東京 都市教養学部1年 肱岡厚志
 途上国の問題を理解しその上で自分の良心に従ってそれぞれが自分の思う支援をすることが本当の支援だと思った。支援には、資金、人材、物など様々なものがある。その中でどれが正しいのか、必要なのか、それは支援をする人の立場や考え方によって答えは変わると思う。ここで重要なことは、途上国の問題を理解するということだ。私は、ある程度カンボジアの抱える問題を事前学習して知っていた。しかし、このツアーに行って、知識と現実のギャップに衝撃を受けた。そして、日本や他の先進国の支援のせいでカンボジアが支援に頼りきりになり、自立ができなくなっている現状にも驚いた。
 私たちができる支援とは、実際に問題の渦中にいる人々を理解し、その上で自分の利益を考えるのではなく、ただ良心に従って、自分が思う支援をすることが重要なのではないかと思った。
首都大学東京 1年 古田祐二朗
 カンボジアでは、さまざまな分野に関する施設を訪れることできた。文化芸術省、観光省ではカンボジア政府が考えていることやカンボジアの歴史を知ることができた。しかし、カンボジアの抱えている問題と照らし合わせたとき本当に問題解決に向かうのか疑ってしまう部分も少しあった。また、カンボジアに住む日本人の方にお話を聞くことができて本当に良かった。初めて訪れた私たちとは全く異なる風にカンボジアが見え、また自分の視野が広がっていい経験になった。
 カンボジアは世界各国からたくさんの支援を受けている。正直実際にカンボジアを訪れてみて、別に支援が必要不可欠だというわけではないのではないかと思うようになった。しかし、はっきりとした答えは見えていない。これからもこの刺激的な12日間を忘れることなく人生を歩んでいきたい。
立命館大学 産業社会学部2年 幸寺健一
 このインターシップを通して、僕が得た、「支援とは何か?」についての答えは、「支援とは、自立を促すものでなければならない。自立とは自分の国を自分たちで守り、その方法を自分たちで考えることである。そのために支援する側は支援される側に対して根付くことを提供しなければならない。」というものです。そのためには教育と通して、道徳、倫理、歴史、技術、社会システム、法整備、憲法などを中心とした、ソフトな面をカンボジア人が自ら学び、それを他のカンボジア人に伝えることや、道路や橋といった社会基盤の整備だけでなく、TV、新聞、携帯、インターネットをはじめとした、情報伝達システムの整備などのハードな面が必要です。そしてある程度、経済成長し、治安も良くなった段階で、支援を打ち切ります。支援を打ち切ることもまた支援であり、支援し続けることが必ずしも支援ではない。これがこのインターシップを通して僕が考えた支援の在り方です。
立命館大学 理工学部3年 野口章宏
 日本語学校で現地の学生達と交流させてもらった際、カンボジアでの一番の問題は?―という質問をしたところ、教育の人材不足と交通問題という答えが返ってきました。やはり、現地に行かないとわからない問題もあると実感すると同時に、今後カンボジアも発展し、先進国と同じ問題が出てくるかもしれないが、どこまで僕たちが介入して、支援していけばいいのだろうと思いました。
 カンボジアの印象は、皆笑顔が素敵なことです。カンボジアで会った人たちはガイドやお店の人だけでなく、買い物してる人、遊んでいる子どもなど皆、笑顔が素敵でした。カンボジアの人達は、常に笑顔で、時間に追われている感覚がなく、のびのびと生活しているように思いました。お金はないかも知れないないけど皆、幸せそうでした。対して日本は、上下水道が通り、電気、鉄道も通っているけど、皆せかせかと暮らし、カンボジアと比べ笑顔の人は少なく、本当に幸せなのかなと思います。
京都女子大学 荻山つぐみ
 今回この旅を通して、学ぶということについて深く考えるきっかけとなりました。
カンボジアの人々の学ぶという姿勢に感銘を受けたからです。孤児院を訪問した際に、小学校6年生の女の子に出会いました。幼いにも関わらず、流調に英語で会話する姿が印象的でした。将来の夢を訪ねると「先生になりたい」と答えました。カンボジアの子供たちに将来の夢を尋ねると圧倒的に多く返ってくる答えは、先生や通訳やガイドなどといった知識を必要とする職業でした。
 カンボジアではポルポト政権によって多くの知識人が殺されました。しかし、未来を担おうとする人材がこんなにたくさんいるのならばカンボジアの未来はきっと明るいものになることを信じたいと思いました。でも、実際の問題として今のカンボジアにあるのは教育を受けたくても受けられずに、お金がないために学校をやめる子供たちが多くいる現実です。カンボジアを訪れる前の私は、日本やその他先進国が、学校を建てれば良いじゃないかという考え方でしたが、訪問してみて見えてきたこと、それはただ単に物資を支援するだけではカンボジアの将来の自立には繋がらないということでした。ここで本当の意味での必要な支援とは、きっかけづくりをすることだと思いました。そうすることで本当の意味でのカンボジアの明るい未来が見えてくるのではないかと思います。
立命館大学 経営学部経営学科3年 平井大貴
 カンボジアで最も衝撃を覚え考えさせられたのはゴミ山を訪れた日だった。あの日、あの場所で自分の中にあった価値観は全て崩れ落ちた。それまで支援とは多額のお金をその国に送ることやインフラ整備なんかをすることだと考えていたが、「今あなたが望むモノ、支援は何ですか?」というぼくたちの質問に、そこにいた女の子は意外な答えを返した。「シャンプーや歯磨きです。」と。今まで目に見えないモノで大きな変化をもたらすことが支援だと考えていたためにこの物資的な目に見える支援がほしいと言われたときは驚き、それさえあれば今はいいのか?幸せなのか?と疑問を抱き、お金もなく、キレイでお洒落な服も着れず、美味しい物を知らず、そこ以外の世界を知らない環境にいるのになぜこんなにもここの人々は笑っていられるのだろうか?幸せとは、普通とは何だろうかと考えずにはいられなくなった。 今の自分にはこの子たちの環境に何か影響を与えるようなことはもちろんできない。しかし、今の自分の環境が特別なモノであり、思いつけばスグに行動に移せるという環境でもあると気づけることができたのもこのツアーに行った成果であり、ここから将来、この子らに少しでも選択肢を提示できるような影響を与えられるような人物になろうと決意した。ここが人生のターニングポイントだったと言えるように歩むつもりである。
関西大学 総合情報学部1年 山地智久
 支援というものについても初めて考えさせられた。カンボジアの人たちが先進国の「知識」に振り回され生活を捨てざるを得ないという話を聞いた。本当にそれは正しいのだろうか。確かに先進国の知識や知恵を与えるというソフト面での支援は絶対に必要になってくるだろう。しかし、本来の風土に合わない、あるいは調和するのに時間がかかる風習をただ取り込むのは危険だし、まして本来の風土を壊して取り込むのには絶対反対である。
カンボジアを知れば知るほど、本当に必要なものって見えなくなった。
 一番今回の旅で痛感したのは、本当に知ることの難しさだ。結局日本人の観点でしか見ることができなかったように、知っているつもりが本当の姿とは異なっているのではないかと。今回特にショックだったのは大学生の意識の高さである。話で聞いていたが、それ以上の意識であって、ある意味考えさせられたし、考えていかなければならないと感じた。大学生としてこの経験を生かしていきたいと思います。
立命館大学 理工学部3年 吉田卓矢
 私は小説の「僕たちは世界を変えることができない」をきっかけにカンボジアに興味を持ちました。カンボジアは日本に比べて貧しく、人々は毎日を生きていくのが精一杯というイメージを持っていました。
 この旅を終えてまず感じたのは、日本という国が法やインフラ整備が整っているということです。この旅に参加したからこそわかったことで、今の生活がどれほど恵まれているか考えさせられました。孤児院や日本語学校の子供たちの勉強意欲については、感心させられました。みんな将来のために努力して勉強し、一日一日を一生懸命生きているのが感じられ、その中の笑顔に私も生きる勇気をもらいました。
 私がカンボジアの全ての研修を終えて感じたことは、物資や法制度等は豊かではないが、人々の心は豊かであることです。考える視野は日本人に比べたら狭いかもしれないが、一人一人が今の生活を受け入れて笑顔で他人と接している姿を見てそう思いました。私はこの経験を通じて、もう一度自分の進路について見つめ直そうと思います。
同志社大学 法学部政治学科2年 柴田崇裕
 カンボジアのことは、小学生のころからボランティア活動に携わったりしていたので個人的にも何かしら身近に感じる部分がありました。そして地雷のこと、内戦のことや近年の経済発展なども度々耳にはしていて、将来はカンボジアへ実際に赴き、カンボジアの現状を自分の目で確かめたいと漠然に思い描いていました。
 私をすっかりとりこにしたのは現地の人々の気風です。特にカンボジアでは人々の宗教への篤い信仰心や絶えることのない笑顔、陽気さ、目に映る優しさに安らぎを覚えました。手を合わせ、クメール語で「こんにちは」の意味の「チョムリアップ・スーオ」、「ありがとう」の意味の「オークン」を唱えるだけで心が温かくなりました。まさに魔法の言葉です。
しかしながら、一日一日が濃密で研修先で得られた情報は自身のなかで消化しきれない面も多々ありました。それに加え、立場の異なる私たちの考える「幸せ」が果たして現地の人々が望む「幸せ」なのか、「支援」とは何だろうか?といった根本的な問いが日々深まってきました。
同志社女子大学 学芸学部 2年 奥野由美子
私が1番行きたかった国が今回行ったカンボジアでした。元々貧困問題に興味があったけど、実際に行くのは初めてだったので少し浮かれていました。でも、現地に着いて施設を見学したり、お話を聞いたりするにつれてだんだんと浮かれ気分は消えていきました。
 農村や孤児院でカンボジアの子供たちと実際にふれあって、たくさんの笑顔やパワーを貰いました。言葉が通じなくても笑顔ひとつで会話ができたような気がしました。でも、物乞いをしているストリーチルドレンもいて、同じ年くらいの子供なのに全然違っていました。笑顔のない子供を見て、悲しくなりました。子供たちには笑顔でいてほしいと心からそう思いました。
 実際に行ってたくさんの人と触れ合って、自分の価値観でしか見ていなかったことに気づきました。生活が貧しいことは見ていて感じたけれど、でも私には幸せそうにも見えました。自分の日常とカンボジアの人たちの日常が違いすぎて、考えるのが難しかったです。
 たくさんの衝撃的なものを目の当たりにして、描いていた将来の夢への気持ちが揺らぎました。自分にそんなことが出来るのか、と不安になりました。でも、それを考えるよりも今は出来ることからやっていこうと決めました。学べる環境があることや学ぶ意欲を持つことの大切さをカンボジアの学生たちから教わったので、私も今はたくさん勉強しようと思います。迷いはあるけれど、やっぱり夢は変わらないと再確認しました。カンボジアに行ったことはだんだんと過去になっていってしまうけど、自分の目で見た光景は忘れることなくしっかり記憶に留めておきたいと思います。
立命館大学 経済学部1年 西出葉月
 「カンボジアは発展途上国だから、いろんな国が学校を作ってくれるけど、先生の数がたりないから、すぐに廃校になるんだよ。そんなのただの箱になるだけで、箱なんか作るぐらいなら、井戸や他のものを作った方がましだよ。」半年前にカンボジアを訪れたとき、ガイドさんに言われた一言がきっかけでこの国に興味を持ちました。今まで自分が思っていた支援は、本当は支援ではないのではないか、本当の支援とは何だろうと思うようになりました。しかし、日本で考えても何も変わらない、現地でいろんなことを感じたいと思い、このツアーに参加しました。
 現地では孤児院や農村でたくさんの笑顔を見ることができました。それと同時にキリングフィールド、地雷博物館、ゴミ山やHIV病棟に行き、カンボジアの社会問題を自分の目で見ることもできました。子供たちはとても可愛くて、その笑顔に癒され、一生懸命勉強する姿は、自分も頑張らないと、という気持ちにさせてくれました。そう思う一方で、日本だったらもっといい環境で生活も勉強もできるのに、どうしてこんなにも環境が違うのだろうと辛くなりました。しかし、一生懸命な子供たちや日本学校の人々を見ていて、この子たちがこの国の未来を創っていってほしいと思いました。
 正直、まだ自分の気持ちが整理できていないし、まだまだ知らないことばかりなので、これからも貪欲に学んでいきたいです。